Jun 26, 2010
一生住み続ける注文住宅
自分の一生をかけて作り出すの住宅では希望の家づくりをしたいものです。自分の心の中で家を作るために、注文住宅しかありません。一生住み続ける家であるための条件を持って時間をかけて作りたいと思います。そのためには家づくりの知識が必要です。デザインは、素材は実に難しいことだけ。注文住宅は、信頼性の公務を見つけることが先決です。我が家はかなりの高級住宅地に位置しているが、残念ながら時間がボロイので、近所の家との落差が激しい。ただ家自体は、私も家族も心のため、外壁塗装の外観を良くしようと考えています。実際に外壁塗装、家の寿命を延長するという会社のパンフレットも見たことがないので、今の家に住んで続けても、外壁の塗装をしなければならないと考えています。
宮城県沿岸部にある石巻市は、東日本大震災によって市内にある10か所の診療所が閉鎖に追い込まれた(6月16日現在)。津波で建物が損壊したり、浸水で医療機器が壊れたりするなど、医療機関の被害は甚大だ。診療再開に伴う資金面の問題から、病院の勤務医に転向する医師も出ている。こうした中、港から程近い「佐久間眼科・小児科医院」では、眼科医の佐久間健彦さん(52)と小児科医の妻、実香さん(49)が、地域医療の立て直しに向けて新たなスタートを切った。
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震災が発生した3月11日は、中学校に通う二男の卒業式だった。このため小児科の診察は午後から始まり、診療所内は親子連れで混み合っていた。地震発生時には、患者や家族ら約150人がいたという。
同診療所では年2回、春と秋に防災訓練を実施していた。重い医療機器はすべて2階にあったため、天井板が抜け落ちることを想定した避難経路も確保。そのかいもあって、地震発生から5分以内に全員を外に避難させることができた。
外は雪。強い余震もあったが、いったん揺れが収まった後、13人の職員を含めて全員が帰宅した。地震発生からおよそ30分。診療所の隣にある自宅から息子と娘を呼び、外の駐車場で今後の対応を話し合っていると、叫び声が聞こえた。
「津波だ!」―。海の方角に目を向けると、4、5メートルの高さの黒い波が見える。家族全員で診療所の階段を駆け上がった。津波は1階部分を丸ごとのみ込み、2階の窓から外を眺めると、家も車も人もすべて流されている。「まるで地獄絵図でした」と健彦さんは振り返る。
■「仙台で勤務医をやろう」
津波で職員の看護師1人が亡くなった。また、診療所の1階にあった眼科と小児科の検査機器などが、すべて使い物にならなくなった。佐久間さんの自宅は損壊し、家族はこの日から、診療所の2階での暮らしを余儀なくされる。
石巻で診療所を構えて11年。ちょうど開業時の借金を払い終えたところだった。「なぜこんなことに…」。健彦さんの胸に、悲しみと同時に怒りが込み上げた。
震災翌日、夫婦で外の景色を眺めた。診療所の周りには、津波で大破した家屋のがれきや車が散乱している。「もう駄目だ…。仙台に行って病院の勤務医をやろう」。2人で話し合ってそう決めた。
ところが、すぐに仙台に向かうことはできなかった。津波で自宅が流され、帰る場所を失った人たちが診療所に避難していたからだ。中には高齢者の男性もいたため、その人の介護も必要だった。避難所で医療支援に当たっているうち、2週間余りが過ぎた。
「先生がいなくなると困る」「1日も早くこの場所で医療を再開してほしい」―。避難所にいると、住民から悲痛な声が聞こえる。2人の心は大きく揺れた。
「やっぱり、この場所でやろう」。夫婦で再度話し合い、石巻で開業医を続けることにした。職員全員が賛同してくれたことも、2人の背中を押した。「スタッフの人生を預かっている責任がある。全財産をなくしても頑張りたい」。健彦さんの決意は固かった。
■今後は資金面が課題
震災から2か月がたった5月13日、同診療所は、米国のマイアミ大が提供している医療用バスを利用して、週2回の診療をスタートさせた。紙のカルテは津波で水浸しになったが、診療報酬明細書(レセプト)を作成するコンピューターのデータから患者の病名を割り出し、診察しながらカルテを復元。診療が週3回になった今では、1日100人近くの患者が来院しているという。
「震災前に比べて、1回の診察時間が長くなりました。精神科とか眼科とか、診療科の枠を超えて患者さんの心のケアをすることも、わたしたちの役目だと思っています」と、健彦さんは力を込める。
今後の課題は資金面だ。診療所1階部分の修繕費として約3100万円が掛かる上、医療機器などの購入費も必要となる。現在、職員には通常の6割の給与を支給し、労働時間分を時給として上乗せしているが、まだ診療所としての収入がないため、「預金残高が減るばかり…」と、健彦さんの不安は募る。
バスは7月に米国に戻るため、同診療所では同月から、現在家族が暮らしている2階部分で診療を行う予定だが、家族が生活するためのアパートが見つかっておらず、見通しは立たない状況だ。「1日も早く生活を元に戻したいけれど、戻れるか不安です」と、実香さんは話す。
■かかりつけ医の重要性を再確認
東北は夫婦にとってかけがえのない場所だ。健彦さんは石巻出身。一方の実香さんは福島県で生まれ育った。2人が出会ったのも、同県会津若松市の病院だった。
「震災前、古里にあまり自信を持っていなかった。だけど今は、この地域を大切に思って、ここに住む人々の健康を守ることが、地域医療の果たすべき役割だと考えるようになりました」。健彦さんは、震災でかかりつけ医の重要性を再確認した。
一方の実香さんも、“まち医者”としての認識を新たにしたという。「わたしたちが与えられた場所は、やっぱりここだったのかもしれません。地元の人たちの力になりたい。家族でこの地域を支えていければと思っています」。
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